これから何を専門にやっていくのか、ということを考えるにあたって、2,3年という長さではなく、50年、60年取り組むことを考えておく必要があります。これまでにそれほど長い期間、熱意をもって何かに取り組んだことはないはずですから、慎重にならざるを得ません。もし2-3年で不向きだと感じたら・・・・、いやになってしまったら・・・、それでも今から専門を変更するのは大変・・・・、そんなことが同じ医業でも選択する専門領域によって起こってしまっては大変です。それよりは、50年も60年も、やりがいを感じて仕事を続けられるほうが幸せのはずです。専門科目を決定する瞬間は人それぞれかも知れませんが、私が感じていることが少しでも皆さんのお役に立てればと思います。
部室のような居心地さ
教育に対する姿勢は指導医によって様々です。教え方の多くは教室の伝統にのっとったものかもしれません。手取り足取り教えるやり方、「背中を見ておぼえろ!」のやり方、特定の人間だけを集中的に鍛えるやりかた、全員にまんべんなく教えるやり方など、どのやり方にもメリットとデメリットが教える側、学ぶ側に存在します。京大眼科のやり方はというと、一言で言うとファジーではないでしょうか。思いっきりやりたい人には多く指導しますし、そこそこでいい人にはそのように合わせます。手術を中心に研修を受けたいということであればそのようにしますし、手術以外の治療をメインにしたいということであればそのように調整していくことも可能です。
生き方や、家族など生活の背景は個人ごとに違いますので、教室では個別に対応するということを念頭に置いています。大学を離れて市中病院で研修する際にも、派遣先の決定には本人の希望が最大限叶うように調整を行います。実際に、私はこのような教室の考えや伝統にひかれて選択いたしました。手術を集中的に研修したいという希望を伝えたところ、早速に大阪は梅田に近い北野病院を赴任先に決定していただき、こんなに希望が通るものなのかと大変驚きました。大学の教室というと、何か巨大な権力の元、強制的に将来の道筋が決められていくという印象があるものですが、当科ではそのようなものは存在しません。和気あいあいとした部活の部室という雰囲気だと感じています。
指導医はいつも教室員の成長を見守っています
部室のような居心地さを感じるのはお互いの会話が多いからなのかな、と最近は感じています。先ほどファジーという話がありましたが、一方で、指導医は若い教室員の将来を、本人以上にいつも気にかけています。彼らの希望をかなえつつも、最大限の成長をいつも願っているものです。ですから、時にはいろんな提案をします。「こういうのが向いているんじゃないか?」、「もし将来こういう働き方をしたいならこの病院にいっておいたほうがいいよ」、「研究に興味があるなら大学院はどう?」などです。私は北野病院で手術に明け暮れていたある日、教授から教室に戻って教育と研究をしてみてはどうかと声をかけてもらいました。
いまは手術もこなしながら、研究という生涯をとおして熱中できるものを見つけることができつくづく運がよかったのかなあと、毎日が充実しています。これなら50年以上毎日が充実できそうです。ただ、振り返ってみると、運がよかったのは、希望がかなったことや研究という生き方を見つけられたことではなく、このような環境に身を置くことができたことではないかと思います。皆さんが満足と感じられる環境を用意できるように今度は私が指導医として伝統を受け継ぐ番です。選択したあなたが「ほんと眼科医になれてよかったなあ」、そう感じてもらえれば幸いです。