マッチング
今では当たり前になったマッチングシステムですが、当時の我々にはどんな様子になるか見当もつかず、不安であったことを覚えています。ただ、そんな心配をよそに、希望通り京大病院にマッチしました。縁もゆかりなかった京都の地に、一人足を踏み入れることになったわけです。頼れる人は誰一人居らず、わくわく少々、大半は不安の気持ちの中、医師人生をスタートさせました。
もしそのような寂しさを感じる時がありましたら、いつでも教室に遊びに来てください。京大眼科はいつでもアットホームな雰囲気で皆さんを歓迎します。
京大眼科との出会い
当時の京大病院は、今と違って定員に達していない状況でした。そのため、各ローテート先では多くの手技を学ぶ機会に恵まれ、働き始めた当初は外科系診療科に惹かれていました。元々サッカーをしており体育会系の雰囲気に居心地の良さを感じていた私は、外科系のノリが合っていたのかもしれません。しかし、父が眼科勤務医をしていたこともあり、二年目の終盤に眼科を少し研修してみることにしたのが、京大眼科との出会いでした。
京大眼科で働いている人は、実際にはとても多様です。周囲には多くの趣味 (能、狂言、将棋、マジック、釣り、ワイン、語学、バイオリン、バンド、スキー、テニス、サッカー、剣道、ゴルフ)に溢れており季節ごとに色々なイベントが開催されています。

静岡県立総合病院でお世話になった先生方
京大眼科での研修
当時の京大眼科には、私の一つ上の学年の先生は関連病院に皆さん赴任されていました。そのため、私は唯一の研修医として、緑内障、白内障、ぶどう膜炎、網膜剥離、外傷、糖尿病網膜症、網膜中心動脈閉塞症など、様々な疾患を短期間に勉強することができました。辻川教授はまだ助手をされ、その後赴任することになった静岡県立総合病院の渡部部長は医員でした(ちなみにお二人ともラグビー部、意外に体育会系か)。倒像鏡の使い方から眼底スケッチの描き方まで、スタッフの先生方から手厚く色々なことを教えていただき、それまでの診療科に無かった眼科独特の診療スタイルに惹かれていきました。その結果、当初は二年限定のつもりの京都研修でしたが、悩んだ挙句、京大で眼科医としてのキャリアをスタートする決心をしました。
人生、本当になにがあるかわからないですね。現在、京大病院内をローテされている先生は、ぜひ一度眼科を選択してみてください。
研修後の進路
研修後の進路については、あまり悩むことはなく流れに身を任せながら、倉敷中央病院、静岡県立総合病院への赴任を経て、大学院に入学、医学博士を取得し、現在、助教を務めています。各赴任先では多くの諸先輩方、同年代の先生方に出会い、色々な刺激をうけながら、今も充実した日々を送ることができています。京大眼科に入って良かったことは、志の高いハイレベルな先生が多く集まっていることでしょうか。そのような環境に身を置きながら、自分を成長させ、自分の力を発揮できることは、とても幸せなことであると感じます。進路に関して悩んだ記憶はかなり遠いものとなっており、分岐点の後、充実した日々を継続して歩めていることが、なにより大切なことなのだと実感します。
京大眼科の関連病院は、東は静岡から西は北九州まで関西圏を中心に数多く存在します。施設ごとの特徴がありますので、集中的に勉強したい内容や居住地などの希望に応じて、医局長と相談しながら赴任先を決めていってください。希望されない病院に赴任させられるなど、強引な人事はありませんので、その点はご心配なく。
眼科のメリット
さて、実際の眼科診療では、様々なイメージング機器を用いて、目の前の患者さんの病像を、「自分たちの手によって」「リアルタイムに」「手に取るように」見ることができます。そして、必要に応じて、顕微鏡下の洗練された手技によって患者さんの視覚を回復させ、患者さんと喜びを共有することもできます。臨床はもちろん、それを支える研究領域の裾野も広く、両面ともに活気に満ちています。私にも約13年の医師人生が経過しようとしていますが、未だに診療過程で新しい所見に気づかされることもありますし、自分の成長を感じることもできます。デメリットは特に見当たりません。
ぜひ、京大眼科に
みなさんには、あと約50年の医師人生が待っています。ご自身の将来像をそのようなスパンの中で想像してみてください。京大眼科には、多様なキャリアプランを提供できるcapacityがあります。
少しでも興味を持っていただけた方は、見学や説明会にぜひ一度いらしてください。当科のスタッフは、皆、人間味にあふれ、チームの和を大切にし、何より若い先生方の育成に熱心です。私も、京大眼科を選択していただいた先生方には、選んで良かったと日々実感していただけますように、最大限のサポートができますよう準備してお待ちしています。